2019年12月に胃がんになり、その後リンパと食道に転移してしばらく闘病生活を送っていた父が、先日逝った。
先生の話では、早朝にいつも通りベッドから起き上がり、自分で喉に吸入器の蒸気をあてている最中に吐血、ナースコール。直後に医師看護師が駆け付けたところ、父は大出血による血圧低下で意識が朦朧としており、処置として点滴に追加投入した睡眠薬も相まって、そこから眠るように安らかに逝った、とのこと。
死に目に会えず残念であったものの、父の死に際が安らかだったと聞き安堵した。確かに死に顔も眠っているように穏やかだった。
5月下旬に「最後の入院」として緩和ケア病棟に入った時は、余命について「月単位では答えられない」と言われたという。
それからしかし1か月ほど頑張り、そしてさすがに状況が悪化して、麻薬に加えて強い睡眠薬を投与することになった。
もう意識がハッキリしなくなるだろうから、会える人は今会っておいた方が良い、という先生のアドバイスに従ってすぐに面会、ガッチリ握手。ところがどっこい、聞いていた話と違って、朝になるとシャキッと目覚め、日中は読書や会話を楽しみ、夜に寝て、また翌朝は目を覚まし、と規則正しい生活を変わらず続ける父。嬉しい誤算とはこのこと、と二人で酒を酌み交わしたりもした。結局一回きりだったが、最後に父と一緒に飲めて良かった。
それにしても父は良くやったし、「してやった」と思う。
麻薬、睡眠薬で恐怖や不安、痛みを取り除き、穏やかな毎日。長年連れ添った妻と過去を懐かしみ、感謝を伝え合う。立派に育った子どもたちが来て、「今までありがとう。後は任せてよ。」と言って帰っていく。
苦しみの無い落ち着いた心身で、「自分の人生、そう悪くはなかったな。」とニンマリしながら、周りに感謝し感謝されて旅立った父。実にうらやましく、また誇らしい。私が同じ立場だったら、きっと草場の陰で「してやったり!」とガッツポーズをとることだろう。もちろん、息子を失った私が同じ立場に立てることはないけれども。
病院の専用出口から父の遺体が運び出される時、青空の中、真正面の南昌山が緑色に光って見えた。
山頂の権現様たちが頭に浮かぶ。彼らもまた、旅立つ父を見送ってくれただろうか。
思い出
親父殿、今までどうもありがとう。
長い闘病生活お疲れさま。ゆっくり休んでよ。
またいつか、どこかで会いましょう。
(2022.7.27)