親父が近々再度入院するということで、妻と娘を連れて松園の実家に顔を出してきた。今はまずまず元気そうだ。人がいつか必ず死ぬのは仕方ないとして、できるだけ長生きして欲しいし、死ぬ時はあまり苦しまないで欲しいな、と思う。
さて、近所の「せせらぎ緑地」まで妻と娘と散歩に行った。初めは娘が中トトロのバックを乗せてソリを引っ張っていたが、途中から私が娘と、娘がトトロと選手交代。娘のハシャぐ声を後ろに聞きながらソリを引いて一生懸命走るが、ハヒー、歳を感じるぜ。
せせらぎ緑地に到着。「せせらぎ」という名の通り小さな流れがある。しかし冬も止まらずに水が流れているのは去年娘と一緒にここに来るまで知らなかった。娘と行動すると、身の回りの実に多くのことをスルーしながら生きていることに気づく。
その後実家に戻って着替えして、昼食。
せせらぎ緑地にて(過去写真)
※話の流れで写真を載せるので時系列的に順不同です。
みはらしの丘について
せせらぎ緑地の近くに「みはらしの丘」もあるのでいくつか写真を載せておく。みはらしの丘からは岩手県民の誇りである岩手山を眺めることができるのだが、うーむ。やはり大変美しい。
岩手山は生まれてから約70万年だという(岩手県立博物館のパネルに書いてあった)。生後6ヵ月で亡くなった息子の命はあまりにも儚いが、長い長い年月を経て今尚在り続ける岩手山からすれば、人の寿命の80年も、息子が生きた6ヵ月も、儚さに大きな差はないのかもしれない。ちなみに計算してみると70万歳の岩手山にとっての80年と6ヵ月は、我々にとっての3.3日と30分にあたる。
それにしても岩手山は一体どんな思いで何百万何千万の人々の暮らしと生き死にを見てきたのだろうか。反対に、何百万何千万の人々は一体どんな思いで岩手山を見つめてきたのだろうかね。
岩手山を見ると何故だかいつも元気づけられ、気持ちが前向きになる。
息子に会いたい気持ちが消えることは無いが、それはそれとして、今を生きる娘の健やかな成長は保障しなければならない。よーし。親としてしっかり責任を果たすべく、父は努力しますよ。
などと書きつつ、実際は自ら健やかに成長し続ける娘に心から救われる日々なのである。娘よどうもありがとう。
(2021.1.14)