夜の徘徊(虫の写真撮り)

夏=虫。

夏の楽しみと言えば虫だ、と主張する虫好きが世の中には一定数存在する。私もその一人だ。子ども時代の痺れるような情熱は失ってしまったが、良い歳になった今でもまだ、虫好きの残り香が体中のあちこちから漂ってくる。だから虫の観察に行き、どこぞの子どもが虫採りに一生懸命になっているのに出くわすと「お前もか」と嬉しくなる。

その同好の士が自分の息子だったら、どんなに楽しかっただろう。
息子と共有したかった楽しみ。それを自分一人ででも楽しんでいれば、息子もどこかで見ていて喜んでくれるのかも知れない。なんて思ったりして、この夏はいつも以上にガッツリと虫遊びを満喫している。

四十四田ダムにて

7月16日の夜に四十四田ダムに行き、虫撮り(※虫採り、ではない)をしてきた。
昔と違って、何でもかんでも捕まえて持ち帰りたい!とは思わなくなった。成長なのか、それとも老化なのか。虫への共感力が増し、飼う責任に気づいたのは成長かもしれないし、カッコいい!欲しい!という興奮がとんと薄れたのは老化かもしれない。
何にせよ、写真を撮るだけで満足できるようになったというのは、お互いにとって良いことだと思う。

では、撮った写真を以下にペタペタ。

エリザハンミョウ。1cmあるかないかの小型のハンミョウ。昆虫発見のコツの1つは「大きさを正しくイメージしてから探す」こと。図鑑の虫たちは大体皆同じくらいの大きさに拡大されて載っているので勘違いしがちだが、大半の昆虫は、思っているよりもずっと小さい。2021.7.16
ヘビトンボ。親御さんと虫採りに来ていた男の子が「ウスバカゲロウだ」と言っていた。確かに方向性は似ているかも。色々調べて昆虫博士になってくれい。2021.7.16
コロギス。長い触角は夜行性の証。足のトゲトゲは肉食の証。餓えと渇きに極めて弱いらしい。ということは、飼うにはそれなりの覚悟が必要。2021.7.16
コロギス、上の写真と同一個体。ツヤツヤの薄緑の体とオレンジの目が綺麗。昆虫は生きている時が美しいけれど、バッタの仲間は特にそう。言い換えれば、バッタの標本は生きている時とエラく違って美しくない。内臓が多く処理が面倒なこともあって、バッタの標本作りに食指は全く動かない。2021.7.16
チャバネクビナガゴミムシ。6mm位しかないので軽く老眼が始まりだした私の目にはすぐには何虫なのか判別がつかない。オートフォーカス付きマクロレンズを二つ並べてメガネにしたら中高年層に良く売れると思うのだが…出てこないということは何か理由があるのでしょうね。高い、重い、壊れやすいといったところでしょうかね。あとはモノモノしい、とか。2021.7.16
アオカミキリモドキ、だと思う。有毒(カンタリジン)で体液が皮膚に付くとただれるというが、以前掌に付いたときは、すぐ拭いたせいか手の皮(ツラの皮ではない)が厚いせいか、特に何も起きなかった。2021.7.16
オナガササキリ、オス、幼虫。これから大人になる。今年は既に暑い日が続いているが、夏の盛りはもう少し先。妻は暑いのは嫌だそうだが、私は暑ければ暑いほど嬉しい。夏よ燃え盛れ。(妻にはクーラーの効いた室内にいてもらおう。)2021.7.16
カブトムシ。死骸。歩道の手すりにのせてあった。子どもが見つけて、死んでいることに気づいて置いていったのだろうか。右中脚の爪と左後脚の脛節の先が欠けていた。ちょうど補食されたとおぼしきメスの脚が近くに落ちていた。合わせて標本にするべく、両方お持ち帰り。2021.7.16
関節は若干固まりつつあったが、軟化させるほどでもなく。それにしても近くが良く見えない。夜だから、だと良いのだが。と思っていたら、この後朝に続きをやったら大丈夫だった。写真は2021.7.16
ナハハ。脚の一部がメス。強いて言えば人工ジナンドモルフ(笑)。あぁ、いつか男の子の孫が出来たら標本に興味を持つかもな。会う度に一つずつ標本をあげたら興奮するべか、などと思いながらコルクに針を刺す。2021.7.16

カブトムシの標本が乾燥するまで2週間。その間に箱も手作りしよう。夏の楽しみは続く。

ところで、カブトムシのことを最近はわざわざ「ヤマトカブト」と呼んだりするらしい。1999年に外国産の昆虫の輸入が解禁され、「コーカサスオオカブト」やら「タイリクカブト」やら、様々なカブトムシが入ってきたためだろう。じゃあ普通のカブトムシは何カブトなの?に対して出てきた(再認知された)のが「ヤマト」だったのでしょうね(なぜニホンじゃないのかと言うと、日本の中にもオキナワカブト、クメジマカブト等亜種がいるから)。

1999年、外国産昆虫の輸入自由化が進んだ年、私は大学生だった。つまり私が小さかった頃はまだ海外の昆虫は市中にほとんど流通しておらず、それらは滅多なことでは手に入らない貴重な貴重な生き物だった。学研の「世界の珍虫・奇虫」という図鑑を買ってもらい、ヨダレを垂らして眺めた過去を思い出す。全く、今の子どもたちが羨ましいぜ。…と思いつつ、手に入れられなかったからこそ未だに強く憧れ続けられるのだ、あれはあれで実に良かったのだ、とも思う。見果てぬ夢はいつまでも追い続けられる、みたいな感じですかね。


(2021.7.19)

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