セミの羽化

アブラゼミの亡き骸をGET、からの…

オリンピックが始まり、職場でも警戒体制がとられるようになった。私も警備で管轄エリア内をまわることになり、とある山深い警備先でセミの死骸を3体入手することができたので、せっかくだからまた標本にして残すことにした。

1匹目。カチコチなのでお湯につけて軟化する。55℃くらいで10分温めて…。2021.7.23
関節が動くように。あ、でも熱過ぎたか?翅脈のきれいな緑が若干くすんでしまった。 2021.7.23
夜の良く見えない目をこすりながら針をプスプス。羽を広げた標本も作りたい。やる気は続くか。2021.7.23
良かった、やる気は続いた。2匹目は羽を広げた形にしよう。後翅が一部欠けているので、標本を入れる箱に黒い紙を敷いて目立たなくしようかな。2021.7.23
展翅台を持っていないので、100均で買ったジョイントマット、木片、両面テープでニセモノ台を作った。羽を抑えるマスキングテープも、両面テープを剥いて残った紙で代用。 2021.7.23

3匹目は残念ながら劣化が激しく、私のテクニック&やる気では、標本化は不可能だった。

間近で羽化も見てみたい

亡き骸を触っているうちに、セミの幼虫の羽化を応援したい気持ちがフツフツと湧いてきた。オリンピック期間だからか、それともさっき沸々とセミを茹でたからだろうか。

何事か思えばそれなりのチャンスが巡ってくるものだ。翌日のサイクリング中に、アブラゼミの幼虫が羽化する場所を探してウロウロしているところに出くわした。ちょっとかわいそうだけど、羽化の様子だけ窺って後は解き放つことにして、家にお持ち帰りだ。

アブラゼミ、メス。四十四田公園の階段の手すりにいた。2021.7.24
大きい虫かごは持っていないので、ダンボールの中で羽化してもらおう。2021.7.24
庭の木の枝葉を適当に入れて様子を見る。が、上へ上へと進んでは落ちる、を繰り返して30分経過してしまった。環境が合っていないらしい。2021.7.24
娘の積み木を両面テープでくっつけて立ててみた。が、これもスベスベで好ましくない様子。その後積み木にサイクリンググローブを被せてみたところ、体をしっかり固定できたようで、ついに羽化の態勢に入った。2021.7.24
時々様子を覗きたいので、ふさわしい場所にカッターで切れ込みを入れ、開け閉めできるようにした。カメラをセットして、私の準備態勢も万全。2021.7.24
サイクリンググローブにとまるセミの幼虫。ガンバレ。2021.7.24
羽化前、しばらく体を揺すっていた。本当に落ちないか試しているのか、それとも羽化前はムズムズするのか。セミに聞かないと分からないが、残念ながらセミに日本語は通じない(英語も通じない)。2021.7.24 22:09
出会ってから5時間後、羽化がスタート。2021.7.24 22:37
ゆっくり時間をかけて出てきて…。2021.7.24 22:49
宙吊り状態に。この間に足を硬化させているらしい。あとはもしかすると羽に水分を送るために何か効果があるのかも。2021.7.24 23:10
足が固まったら、グイッと体を起こして脱け殻にしがみつく。2021.7.24 23:16
お尻も出てきた。羽はまだシワシワ。2021.7.24 23:20
大分羽がのびてきたぞ。2021.7.24 23:31
形が整った。あとは朝まで時間をかけて、全体を固めるのみだ。早起き(別のセミ活)をして眠いので、1時間ごとに目覚ましをセットして就寝。タイマーでカメラのシャッターが切れれば良いのだが。2021.7.25 0:27
無念。アラームに気づかず、グッスリ眠ってしまっていた(泣)。セミに関する夢を沢山見たのは覚えている。起きかけて、しかしその度に夢の世界に戻っていったらしい。セミはすっかり色が落ち着いて、頑張ればもう飛べそう。2021.7.25 5:25
本当はこういう途中経過を撮りたかった。まぁ、次の機会に。写真は2021.7.21、滝沢市大沢での夜のセミ活にて。
ガンガン飛べるようになってから無理に捕まえるのはお互いにとって良くない。ので、サイクリンググローブにとまっているうちにそっと捕獲し、虫かごに移動。このあと娘と一緒に高松の池に行き、放す。2021.7.25 8:36
せっかくなので今回の抜け殻は特別扱いしてやろう。カプセルに入れて、捕獲場所、日付時間等を書き込む。夏の思い出がまた一つ増えた。2021.7.25
特別扱いの1個と、それ以外の164個の夏の思い出たち。冬、家にこもっている時に自由研究して楽しむ予定だ(今後も増殖する)。2021.7.25
そして無事に高松の池に放流しました。楽しい時間をありがとう。あわよくば鳥の難を逃れて子孫を残しておくれ。2021.7.25


終わりに

子どもの頃は行動範囲が限られていたので、チャンスも限られていた。今にして思えば非常に狭いエリアの中で必死にセミを探し、そしてなかなか捕まえられなかった(その分稀に手に入れた時には死ぬほど嬉しかったけど)。大人になった今は、遠くまで行けるし色んなスポットも知っていて、簡単にセミを見つけられる。しかし残念、もはや情熱は薄れ、ありがたみも薄れ、昔のような激しい興奮や喜びは感じられなくなってしまった。うーむ、幼少期に今の環境にいられたらなぁ。どうにかして幼少期の私に会いに行き、助っ人になれないかな。なんて、もちろん今の私が子ども時代の自分に会えるはずは無い。でもそのかわりに会えるのが、自分の分身とも言える、今まさに絶賛子ども時代中の、娘だ。
子ども時代の喜びは、今この時嬉しい、だけで終わらない。大人になる過程で、また大人になってから、必ず苦難や挫折を味わうことになる。その苦しい時に自分を慰め励ましてくれるのが、子ども時代の原体験、飛び跳ねて喜んだ楽しい思い出たちだ。
娘が将来前向きに生きられるかどうかは、今を満足感タップリに過ごせるかどうかにかかっている。
つまり、親の責任は限りなく大きいということだ。

(2021.7.26)

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