2020年の秋以降、娘とドングリ拾いをしている。集めたドングリの中で芽が出た奴らもいて、コナラの若木の一部を鉢に集めて育てている。
物凄く意識して見たわけでもないのだが、ある夜にこの鉢の姿をディフォルメしたような夢を見た。
小学生の頃住んでいた三ツ割の家の前の原っぱが苔むした緑の絨毯の空間に変わっていて、そこに実に立派な木の幹がドン、ドンと生えている。上を見上げると見たことのない木。…と思っていたけどよくよく見たらコナラだ。緑の暗い空間に、木漏れ日も緑。昔見た「まっくら森の歌」のワンシーンみたい。でも不気味さは無く、懐かしくて落ち着く。ごくごく稀に見る、良い夢だ。
しかし夢って不思議。人生とは、と聞かれて「夢」と答えたのは沢庵禅師。「夢中に夢を説く」のが仏の教えである、と看破したのは道元禅師。生涯夢を記録し続けたのは明恵上人。私も夢に何かを託すべきか。昨日のことを夢と一緒さ、と受け流せたら…。そこまで達観できるまで、あと何年かかる?10年が5年になるようにするにはどうしたら良い?まあ、坐禅するしかないのだろうけどね。
(2023.6.4)