立春が過ぎました
立春は冬至と春分の日のちょうど中間で、毎年大体2月4日、たまに5日。去年は124年ぶりに2月3日だったそうだが、今年2022年の立春はまた2月4日に戻った。今後は、またずーっと2月3日ではなくなるわけでなく、去年2021年から2057年までは3年おきに2月3日になり、2057年以降はもっとごちゃごちゃになるらしい。
…と書いていて、あれ?前に似たようなことを調べた気がするなあ、と思って過去の投稿を見てみたら、「節分とか、恵方巻きとか」で触れていた。
昔の自分が書いた妙な文章を読むのもなかなか面白いものがあるが、昔の写真が一つのお題で時系列に並んでいるのを眺めるのも、実に面白い。娘も世の中も、もちろん自分も、刻一刻と変化し続けているのだなぁと改めて認識し、ボンヤリしている暇は本来ないのですぞ、という気持ちが引き出されてくる。と言いつつ結局ボンヤリ生きてしまう自分が恐ろしい。
そんなわけで、今回は娘が今まで着てきた屋外用ジャンプスーツに着目して、時の流れを味わってみることにする。そこから何か思いつくことがあればそれも。
歴代ジャンプスーツあれこれ
写真を見て思うこと
写真を見ていると、その時その時の思い出がバッチリ蘇ってくる。その当時の自分と今の自分は全く同じ人間ではないので感情まですっかり再現されることにはならないけれど、「あぁ、あの時ああいう風に思ったっけなぁ…。」としみじみと共感することにはなり、面白い。
面白い、というのも面白い。自分自身のことなのに共感したり面白がったりできるのは、その当時の当事者だった自分とは違い、今の自分は過去の自分を別人格として客観的に見ることができるからだ。
とすると、今の自分のことを今、離れた視点から客観的に見ることができれば、自分とその周りに起こる出来事を、よりゆったりと、面白がって味わえるのかもしれない。
自分を客観視するために
これに関しては夢が大いなるヒントになるように思う。
夢から覚めた後の夢の認識として、ざっと見ても6つ、パターンを挙げることができる。
①夢を見たかどうか、全く覚えていない
②何か夢を見たことは覚えているが、夢の中身は覚えていない
③夢だと気づかないまま、ただ夢の中の自分を味わっていた(目覚めて初めて「何だ夢だったのかい」と気づくパターン)
④夢だと気づいてはいるが、自分を操ることのできない夢だった(もどかしいけれど、何もできないパターン)
⑤夢だと気づいていて、自分を操ろうとしたら多少できる夢だった(ちょっとだけ、夢が自分のものになったパターン)
⑥夢だと気づいていて、思い通りに自分と世界を操ることができる夢だった(明晰夢的な、完全に夢を自分のものにしたパターン)
の6つだ。
今知覚している現実世界を夢の世界に見立てて、上記の③を④へ、④を⑤へ、⑥へと持っていくような、一段階上の意識を働かせることができたらなぁ。そうすれば、夢の中での出来事について目覚めた後で深刻に悩んだりたり執着したりしないのと同じように、この世界での出来事に対しても深刻に悩んだり執着したりせず、良い意味で適当に、気楽に生きられるのではないだろうか。
ということで、睡眠状態に対しての覚醒状態に相当する、覚醒状態に対しての「超覚醒状態」的な精神状態をどうにかして模索し、発見し、実現させることを目指しましょう、という話になるのだが…。それがどこにあるのか、どうすればたどり着けるのか、皆目見当がつかない。
手始めに明晰夢の見方の練習からでもしてみたら良いのかな。それともお寺の坐禅会に行く、とか?それとも上野に行ってひとつウエノ男になるとか(笑)。
これに対する答えがいつかこのブログに書けると良い。
未来の自分に期待。
(2021.2.6)